2012年5月19日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記18-20
これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、……私たちへの教訓とするためです。―Ⅰコリント10:11
私たち夫婦はロンドンの大英博物館を訪れて、英国の歴史の豊かさや数々の文化遺産に圧倒されました。そこに展示されているものはみんな、アメリカの歴史より何世紀も古いものです。歴史の感覚を持っていることは、何と大切なことだろうと改めて思いました。歴史は、物の見方、文化背景、因果の経緯や変遷を教えてくれます。それを知ることで、私たちは先人の成功や失敗から学び、今を賢く生きるための知恵を得ることができます。
パウロもまた、歴史から学ぶことの大切さを知っていました。彼は、イスラエル人たちが荒野をさまよっていた歴史を振り返りました。そして、神を信頼せず約束の地に入ることを拒んだために(民14章)、この人たちが滅んでしまったことを例にあげ、間違った選択を重ねると破滅しかねないと警告しました。パウロはコリントのクリスチャンに言いました。「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです」(Ⅰコリ10:11)。
神が聖書をくださった理由のひとつは、私たちが、神の民の歴史から学ぶようになるためです。聖書の教えは、模範と警告の両方を含んでいます。それらは悪い方向に行かないように忠告し、賢明な生き方を示唆してくれます。先人の歴史から学ぶか、それとも彼らの失敗を繰り返すか、それは私たちの問題です。
(Bill Crowder)
先に生きた信仰者の人生から価値あるレッスンが得られる。
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2012年5月18日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記14-17
主の前に静まり、―詩篇37:7
私の人生は思い描いていたものとは大違いです。私の夢は高校を卒業して19歳で結婚し、6人の子どもを持つ良妻賢母になることでした。ところが、私は学校を卒業して就職し、学び続け、働き続けて40代で結婚し、子どもはひとりも授かりませんでした。私は、詩篇37篇4節をずっと信じてきました。「主はあなたの心の願いをかなえてくださる」は、私に対する神の約束だと思ってきました。しかし実際は、いつも「主が成し遂げてくださる」(5節)わけではなかったので、悲しみに沈んだこともありました。
あなたの人生も、自分の計画通りにはならなかったかもしれません。しかし、詩篇37篇のアドバイスは役に立ちます。(詩篇は主に、神を信じる人とそうでない人を比べて書かれているのですが…。)詩篇37篇4節を読むと、夢がかなわないからといって、人生の喜びが奪われるわけではないことが分かります。神の心を知ると、神ご自身が喜びとなるからです。
また5節は「あなたの道を主にゆだねよ」と語ります。「ゆだねる」とは「巻く」という意味です。ハーバート・ロックイヤー・シニア師は「あなたの道を主に巻きつけなさい。自分では負えない荷を自分より強い人の肩に背負ってもらうかのように」と語りました。
「主に信頼せよ」という勧めに従って、堅く信じて神にたよるなら、「主の前に静」まることができます(7節)。神が最善を成してくださるのですから。
(Anne Cetas)
人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。(箴言16:9)
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2012年5月17日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記11-13
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。―ヨハネ14:3
ある夫婦が年老いた叔母を引き取って同居しようと決めましたが、気がかりなのは、彼女が新しい環境に慣れることができるかどうかでした。それで、せめて寝室は以前の部屋とそっくりにしようとしました。彼女が新しい部屋に入ると、家具や壁掛け、その他のお気に入りの品々が、まるで「おかえりなさい!」と言っているようでした。
ヨハネの福音書13章36節から14章4節は、最後の晩餐の場面です。イエスは自分の死に対する心構えを弟子たちにさせようと語りかけられました。シモン・ペテロが「どこにおいでになるのですか」と尋ねると、イエスは「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます」と答えられました(13:36)。イエスは続けて、ペテロに(そして主に従うすべての人に)こう告げられました。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」(14:2-3)。
天国は、イエスを信じるすべての人たちが文化や国籍を超えて家族として集まる場ですが、そこは天の父の家でもあります。その家には、あなただけの部屋も用意されているのです。
天国に着いてイエスがドアを開けてくださると、あなたは「おかえり!」と言われていると感じることでしょう。
(David McCasland)
クリスチャンにとって、天国は我が家だ。
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2012年5月16日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記8-10
ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。―ガラテヤ2:11
私たちはIT技術の発達によって、批判すべきときに面と向かってそれを伝えることができなくなってしまったのでしょうか。今や会社はEメールで解雇を通達することができます。顔を見ずにフェイスブックやツイッターで相手を批判することもできます。クリスチャンはこのような風潮に流されず、パウロがペテロに意見したときの行動を見習うべきではないでしょうか。
パウロはペテロを非難しなければなりませんでした。ペテロが神の恵みについて妥協したからです(ガラ2:11-16)。ペテロは以前は異邦人の信者と食事を共にしていたのに、(イエスを信じるだけでは罪は赦されず、ユダヤ人の律法も守らなければ救われないと信じていた)ユダヤ人たちがやって来ると、異邦人との交わりから身を引いていきました。私たちはひとつだと言いながら、結局は妥協してしまいました。律法には人生を変える力がないのに、ペテロは律法主義者を前に萎縮して、偽善的になりました。そんなペテロに、パウロは真っ向から愛と情熱を持って意見しました。神の恵みこそが、罪の奴隷から人を自由にし神への従順に導くと、力強く諭しました。
クリスチャン同士が正面からぶつかるというのは容易ではありませんが、聖(きよ)さと一致を促進するために、無くてはならないことです。私たちは互いに対する責任があります。聖霊の力によって歩み、愛を持って真実を語り合う(エペ4:15)ことで、その責任を果たすことができます。
(Marvin Williams)
的確な言葉はよく届く。
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2012年5月15日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記5-7
主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。―詩篇145:18
ふたつの健康な目があるからといって、はっきり見えるわけではありません。これは経験から言えることです。網膜剥離を手術して、それぞれの目はよく見えるようになりましたが、両眼が協力して働きません。片方の目は遠くに焦点を合わせ、もう片方の目は近くに焦点を合わせます。私の目は共同作業をせずに、互いの優位性を主張しあっているかのように働きます。目の焦点は、三ヶ月後に補正眼鏡ができてやっと合うようになりました。
神を見る目にも似たようなことが起こります。ある人は、近くに焦点を合わせて神を見ます。つまり、自分の日常生活に焦点を合わせて神を見て、神を近くに感じます。また、ある人は、遠くに焦点を合わせて大きな神を見ます。宇宙を支配される、大いなる力と光栄に満ちた神を見て賛美します。
人は、どちらが正しいかあれこれ意見を言いますが、聖書は補正眼鏡の働きをして、両者を整えてくれます。ダビデは詩篇145篇3節で「主は大いなる方、大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません」と語り、また18節では「主を呼び求める者のすべてに主は近くあられる」と言って、両方の見解を述べています。
感謝すべきことに、天の父なる神は近くにいて私たちの祈りを聞かれ、ずっと上の測り知れない力をもって、どんな必要をも満たされるお方です。
(Julie Ackerman Link)
神はどんなに小さな願いにも応えられる偉大な方だ。
カテゴリー: 神のご性質 |
2012年5月14日
1年で聖書を!
◆ ヨブ記1-4
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。―ヨハネ7:38
テキサス西部の牧場育ちの人が言いました。「唯一の水源は、何キロメートルも離れた所にありました。我が家の納屋のそばに古い風車があって、その回転でポンプを動かし、水をくみ上げていました。」風が強ければ風車はよく回りますが、微風では回りません。その時は羽根の角度を手で直して、回転翼が風を真っ向から受けるように調整します。適切な方向を向いてはじめて、風車は水をくみ上げることができます。
地方の小さい教会の牧師に会うと、この話を思い出します。彼らの多くは、自分が孤立無援の状態、すなわち、自分の働きは不必要であるかのように見捨てられていると感じています。そして、次第に疲れてきて、群れの羊たちにいのちの水を届けることが難しくなっていきます。私は(牧師のケアをするミニストリーをしているので)、この人たちにあの風車の話をします。そして、風車の羽根の向きを正すように自分の向きも常に調整をして、しっかり主のみことばに向き合い、水源であるお方からいのちの水をいただきましょうと話します。
牧師にとって真理なら、誰にとっても真理です。奉仕は内から外へあふれ出すものです。イエスは「わたしを信じる者は…生ける水の川が流れ出るようになる」と言われました(ヨハ7:38)。私たちが人々のたましいに触れられるのは、神が私たちのたましいに語りかけてくださったときです。他の人を励ましたいなら、いのちの源である神のもとに毎日帰りましょう。
(David Roper)
人生の戦いに疲れたとき、主から力をいただこう。
カテゴリー: 奉仕 |
2012年5月13日
1年で聖書を!
◆ エステル記8-10
彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。―箴言31:27
ヨーロッパで始まった宗教改革初期の1525年に、元修道女のカタリナ・フォン・ボラはマルティン・ルターと結婚しました。彼らの結婚生活は喜びに満ちあふれたものだったと言われています。ルターは、「よい結婚によって結ばれた絆ほど甘美な絆はなく、その中に起こった別離ほど辛いことはない」と語っています。
カタリナは朝4時に起床して家事を切り盛りしたので、ルターは妻を「ビッテンブルグの明けの明星」と呼びました。彼女はルター家の農場や果樹園の世話に励んで、よい収穫をもたらしました。また、家事をてきぱきこなし、家業の指揮を取り、一家の地所を守りました。ふたりは6人の子供に恵まれました。カタリナは、家庭は子どもの人格形成の場と考えました。彼女は、家族の世話をよくし、エネルギッシュに働くことで、影響力のある女性になりました。
カタリナはまるで箴言31章に語られている女性のようでした。彼女は実際に「夜明け前に」起き、「家の者に食事を」整えました(15節)。また「家族の様子を」よく見張り、「怠惰のパンを食べない」(27節)貞淑な妻でした。
私たちはカタリナのような模範を通して、愛、勤勉、神を畏れることなどを学びます。これらは影響力のある女性になるために必要なことです。
(Dennis Fisher)
よき母は生き方を語るだけでなく、生活の中で模範となって示してくれる。
カテゴリー: 影響, 母親 |
2012年5月12日
1年で聖書を!
◆ エステル記4-7
彼らは天に上り、深みに下り、―詩篇107:26
葛飾北斎は有名な版画家で、多くの作品を残しました。彼の最高傑作、色彩木版画の「富嶽三十六景」は、1826年から1833年(北斎が60歳代半ばから70歳代初め)に生み出されました。中でも名高いのは「神奈川沖浪裏」です。これは北斎が経済的にも精神的も苦境に立たされて、もがいているときの作品です。そびえ立つ大波は牙をむき、船頭たちの努力もむなしく、今にも三隻の小舟を呑み込もうとしています。
詩篇107篇にも、海の波にもまれて危機に瀕した人々の話があります。「彼らは天に上り、深みに下り」、そのため「そのたましいはみじめにも、溶け去った」とあります(26節)。ついに、船乗りたちは神にS.O.Sを発信しました。神はそれに応えて嵐を静めて海をなぎにされ、彼らを目的地に導いてくださいました(28-30節)。
私たちは絶望的な状況に遭うと、助けてくれる人、慰めてくれる人を一生懸命探します。しかし、その人たちも同じ船に乗っていて、人生の荒波にあっぷあっぷしています。船外におられるのは神だけです。また、神は主権者であり、動かされることのないお方、嵐を静める偉大な力を持っておられるお方です(24、25、29節)。今、困った状況にありますか。もしそうなら、神の助けを求めましょう。
(Jennifer Benson Schuldt)
私たちは、直面する問題を遥かに超える偉大な力をもつ神を礼拝している。
カテゴリー: 試練/試み |
2012年5月11日
1年で聖書を!
◆ エステル記1-3
寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。―箴言14:31
統計上の数字には注意が必要です。数字は客観情報ですが、時として、対象となっている状況をしっかり捉えることを疎外します。最近、ある統計を見て、このことに気づきました。それによると毎年1,500万もの人が餓死しています。背筋が寒くなるような状況ですが、私たちのように物の豊かな社会に暮らしていると、それがどういうことなのか、まったく想像ができません。2008年には、約900万人の子どもが5歳の誕生日を迎えずに亡くなりましたが、その約1/3が餓死です。恐ろしい数字ですが、実際はもっと深刻です。これは単なる数字ではなく、神に愛されている一人ひとりの子どもなのですから。
私たちが神の愛を表せる方法のひとつは、衣食住などの基本的なニーズに応えることです。ソロモンは「寄るべのない者をしいたげる者は自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う」と記しています(箴14:31)。私たちは食料配給施設でのボランティア、職探しの手伝い、安全な飲料水確保のための井戸掘り費用に対する寄付、技術教育の提供、学校給食を行うための寄付など、様々な形で手を差し伸べることができます。
貧困に苦しむ人を助ける責任が自分にもあると受け止めて行動することは、父なる神に栄光を帰することです。すべての人を愛する神のみこころに沿ったことです。さらに、お腹が満たされていれば、十字架のメッセージは今まで以上に聞こえやすいのではないでしょうか。
(Bill Crowder)
神の愛を知れば知るほど、もっと人を愛するようになる。
カテゴリー: 証 |
2012年5月10日
1年で聖書を!
◆ ネヘミヤ記10-13
もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、……まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。―マタイ5:23-24
マークは大失敗をしました。教会の友人と待ち合わせていたレストランに、1時間遅れて行ったのです。友人はすでに去った後でした。悪いのはマークです。申し訳なく思ってレストランのギフト券を買い、それに添えるカードを捜しに近くの文房具店に行きました。何百とあるカードの中で、おどろいたことに「謝罪カード」はほんの数枚、目につかないところにあるだけでした。その一枚を買って友人に送り、赦してもらいました。
謝罪カードはあまり使われないようですが、人との関係で謝罪しなければならないことはよくあります。聖書も謝ることを勧めています。イエスは怒らせた人には謝って仲直りしなさい、と教えられました(マタ5:23-24、18:15-20)。使徒パウロも「あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい」と語っています(ロマ12:18)。謝罪は、平和に暮らしていくために欠かせません。
謙遜にならなければ自分の過ちを認めることはできないので、謝罪することは簡単ではないでしょう。また、自然にできることでもありません。しかし、自分の落ち度の責任をとることは、人間関係の傷を癒し、それを回復させることにつながります。
失敗してしまいましたか。まずはプライドを捨てて、謝りましょう。相応しいカードが見つからなくてもそうしましょう。
(Anne Cetas)
謝ることは、争いを終わらせる最善の方法だ。
カテゴリー: 人間関係 |